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赤い月を見ながら帰ろう
意味の薄い三つのプロローグ◆1
ほら、ほら、王子様。早くしないと姫の髭はどんどんのびていってしまいますよ。
髪ももう踝まで届いているではありませんか！爪はぐるりと内側に回り込み、今にも胸の上で組んだ指同志をほどこうとしている。
さあ、早く口づけを。大丈夫心配しないで、ちゃんと彼女の肌は私がケアしていましたから。唇だって、ほら、あんなにつやつやと輝いて。
どこかの女〜ＪＵＬＩＥＴと言いましたか？〜とは違って、まだ命を絶ったわけではありません。深く深く眠っているだけです。時々唇を震わせるんですよ。何か譫言でも言いたげに。
………？
何を言っているのですか。あなた以外に誰が姫を起こすというのですか！？
………？？
彼女はぼくを待っていないのかもしれない？どうして、そんなこと…。
彼女の髭が気になるのですか？それは仕方がありません。生まれたときには彼女は男性だったのですから。
それは気にしない？じゃあ、なぜ？
あなたがしないというのなら、私が替わりにしたいくらいです。実は、一度、いや正直にいいましょう。毎日です。毎日。あなたの替わりに毎日私は姫に口づけているのです。
それでも、彼女は目を覚まさないんだ。私じゃあだめなんです。
さあ、早く！早く早く早く！
………。
どうして、どうして、しないん、です、か…。
なぜ、彼女はあなたを待っている、のに。
違うって…、何が…！？
え？何…が…。
意味の薄い三つのプロローグ◆２
時々何かに取りつかれたかのごとく頭の中身を全て活字にして吐き出して
しまいたくなる。意味のある言葉意味の無い言葉そんな些細なことはどう
でもよくてとにかく自分の指の赴くままに活字を叩き出したくなる。きま
ってそういうときは私のココロは病んでいる。〜綿菓子の匂いのバスタオ
ル〜。日記というわけでもなく創作というわけでもなく今脳味噌が発する
信号を全て言葉に換えてひたすら叩き出す。誰かに伝えたいとかそんな高
尚な目的があるわけではなくただディスプレイに並ぶ活字の羅列を目でぼ
んやりと追い続ける。〜蓋の開いた歯磨き粉〜。やがて活字達はぞろぞろ
と私の内面を浸食し始める。意味を持たないつもりの言葉さえもやがて私
の外面をなぞり内面にずるりと入り込む。他人が介在しないはずのこんな
ささやかな遊びが熱を帯び他人と自分との差異を明確にしてしまう。〜口
紅のついたタバコのフィルタ〜。私にはない乳房私にはない膣私にはない
子宮私にはない？自分の生物学的な所属に疑問を持ってからずっと私の精
神はおかしくなっているのかも知れない。こういってしまうと訳知り顔の
他人達はにやにやとチェシャ猫のようなにやけた笑いを一瞬浮かべたあと
に深刻な顔を作って今はそういうのがよく新聞などでも言われているね君
もそうだったとは気づかなかったよ一度病院で看てもらったらどうかね。
〜傷のついたコンパクトディスク〜。そこでも私は病人という範疇に所属
させられ哀れんだ瞳に曝される。望んでいない世界。決して文学的でない
ただの日常を私の指先は叩き続ける。眩暈が生じたときは私は心底喜んだ
これで本当の病人になったのだと。〜先月のままの予定表〜。病人になっ
たことを自ら認めてしまえば楽になれると思っていたので眩暈がおさまっ
てしまったときに私は必死でその感覚を思い出そうとした。私ごときの精
神が病に侵されるはずはない。精神の病はもっと立派で正しいものであり
私のような人間に生ずるものではない。こうした自己を卑下する行為さえ
も私には憎むべきものであるがそれ以上に自己を持ち上げ一つ上のステー
ジにいるかのような錯覚を憎む。〜三度鳴り静かになったインターホン〜
意味の薄い三つのプロローグ◆3
「いらっしゃい。…あら、どうしたの、こんな時間に。」
「やっぱり私って醜いよね。」
「……なあにぃ？また誰かに振られたのぉ？そんなときだけここに来るのね。まるで自分より醜い存在を目の当たりにしたいみたいじゃない。」
「そんなつもりはないよ。けれど、自分の存在が薄っぺらな気がして。私はここにいていいのかどうか。生まれてきてよかったのかどうか。」
「ばっかみたい。そんな大昔の文豪みたいなこと気取っても似合わないわ。なにより、あなたを生み出したのはあなた自身でしょう？」
「私には力が足りなすぎるの。彼女に満足した身体や衣装を与えてあげることすら出来ない。結局醜いオトコの残骸が見え隠れして反吐が出そうになる。」
「あなたは充分綺麗よ。少なくとも私やこの店に来る人たちの８割よりも。こんなことを毎回私の口から聞いて楽しいの？」
「ごめんなさい。そんなつもりじゃあ。」
「どうかしらね。結局あなたは自分と自分の中のもう一人が可愛いだけなんでしょ？」
「………。」
「違わないよね。他人は自分を持ち上げてくれる、もしくは誉めてくれるためだけに存在しているのでしょう？」
「きついです。」
「それでも違うとは言わないのね。」
「それが自分でももうよくわからないの。醜いと感じる自分が今日は大きいけれど、結構自分自身に満足してしまう自分も存在していることは確かだし。」
「私は私の生き方をしているわ。だから悩むこともあるけど、こうして生きてる。それってアタリマエじゃない。誰だって二面性のある自分の所在に苦しんでいるんじゃないの？あなただけがそうじゃないでしょ。確かにあなたのソレはちょっとだけ大きいかも知れないけれど。」
「……化粧をなおしてくるわ。」
「………。」
第一章
右ハンドルのアメリカ車の助手席はすっかり形を変え、私の身体を乗せるベッドと化していた。
私の両足は高く持ち上げられ、丁度顔の横にひざが見える。
かつらが落ちないように押さえている右手と、口紅が唾液で落とされた醜い顔を見られないよう口元を押さえた左手。
太くみっともない足をくるんでいたストッキングは後部座席に投げられたまま。
不格好に大きくなってしまっている私の性器をくるんでいたショーツは左足に巻き付けられたまま。
男は私の首筋と唇を執拗に求める。その間も果てなく腰は動き続け、そのたびに私の身体は前後に動かされ、かつらがずれそうになる。
車の中はきつめに空調が効き、肌を冷たい空気が刺す。二人の男の体温で熱くなった車内を口笛でも吹くようにクーラーは動き続ける。窓ガラスはすっかり曇り、外からは恐らく中の様子はうかがえない。果たして男はそこまで考えていたのか。
電池で動くヴァイブと、熱冷ましの座薬以外に私の肛門は何かを受け入れたことはなかった。よって、この男の性器がはじめての体温付きの物体だ。
思ったよりも奥に入ってくる感覚は少ない。それよりも入り口をぐいと広げられた痛みで、本当に私の肛門は男の性器を受け入れているのかどうか、分からなかった。
その結合部分を見たいと思っている女がいた。
どうしてこんなことをしているんだろうとぼんやり考える男がいた。
ずっと奥まで激しく突き刺してほしいと思っている女がいた。
もう生えかけてきたはずの髭を、落ちてしまったファンデーションの下に隠すためのコンシーラは果たしてバッグに入れてきただろうかと考える男がいた。
もっと落ち着いた姿勢で、もっと身体を密着させて、もっといやらしい吐息を聞きながら、もっとムーディにやって欲しいと思う女がいた。
なんで、男に肛門を犯されて不格好にエレクトさせているんだろうと考える男がいた。
ローションが足りないせい？もう少しなめらかに動かないものかしらと思う女がいた。
妊娠する心配はないけど、コンドームくらい用意していてもいいじゃねえかと思う男がいた。
果たして今の私の声は本当にこの男を煽れているのだろうかと思う女がいた。
体勢がいい加減きつい。とっととイッちまえよ！と思う男が、
決して交互でなく、入り乱れるように、
私の中に、いた。
自宅まで送ると言い張る男に、きっぱりと近所までにしてくれと言い放ち、その上嘘までついて、自宅から二本も道を外したところに車を止めさせた。
あれから、ショーツをもどし、ストッキングをはき直した。
結局、私は射精をしていない。
動く車の中でなおしたのでかなり乱雑になっているだろう化粧と、間違いなく皺が出来てしまっているだろうワンピースを気にしながら、深夜の商店街をぼんやり歩き、アパートの階段をのぼった。この時間ならば、家族ばかり住んでいるこのアパートの住人は起きてこないだろう。
ショーツの中で私の性器はまだ大きく張っていた。
一体私はなんなの？
熱いシャワーを全身に浴びながら、ブラのあとのついた胸元をさする。
そして、私の指の代わりに、乾電池を替えたばかりのおもちゃにコンドームをかぶせ、わざと乱暴にさっきまで男の体温が入っていた肛門に差し入れた。
スイッチを入れると、私の性器はほんのわずか手を触れただけで、暴発した。
浴室にこだまする水音が、一瞬静かになった気がした。
肛門からヴァイブを引き出すと、コンドームの先端に白い液体が糸を引いていた。
第二章
近所にストッキングの自動販売機が設置されたことを大学の帰りに発見した。
それは、駅前にある雑貨屋の脇に、たばこの販売機と共に平然と置かれた。
私の帰宅する方向はその雑貨屋の方向とは逆だった。が、どうしても私の足はそちらに向かう。そのたびにちらと横目で眺めてみる。
紙幣は使えるのか？何色がある？一足いくらだ？
私がその販売機の前に立ち止まり、硬貨を投入できたのは、それから一ヶ月以上が過ぎたあとだった。
その日は頭がぼんやりしていた。
身体がなんとなく、重い。
それは、きっと徹夜のせいだろうと思うことにした。
早朝の街には、霧がかかっていた。
駅の構内は向こうまで見渡すことができず、ホームの上屋の電灯がいくつか、集中線のようになり消えて行っていた。
足がみっともない毛で覆われてはじめてから数年間ぶりに、私の足は命を取り戻した。
ひげ剃り用の二枚刃の剃刀は長く太い毛を剃るには適していないことをその時知った。
が、苦心の成果か、数年ぶりに見る毛のない足は白く、自分の足ではないような気がしてココロが弾んだ。
シャワーを浴びると、足にあたる水の感覚さえ違った。それだけで私の性器は反応を示していたけれど、もう一つの計画のために、そこで性器に手を伸ばすことは躊躇われた。
計画とは無論、言うまでもない。
結果。私はそのままの格好で、ストッキングの中に三度射精した。
その後頭がぼんやりしていたのは、流行のインフルエンザのせいだということが分かった。身体は４０度にまで熱くなり、意識は朦朧とした。しかし、それは酩酊とも言うべき心地よい休息だった。
私が外から見て、男だった最後の日を祝うような。
それ以降、私は私の頭が望むように私に衣装を買い与え、化粧品を買い与えた。
私の中にいつからか住み始めた女を満足させるためならば、スーパーでインスタント食品に紛らわせて口紅を買うことなど、造作もなかった。
そして、今日、私は男に抱かれた。
第三章
弾かれたコインは空中でわずかに右に逸れたが、私の左手の甲に無事着地した。
それをすかさず隠した右手ごと目の高さまで持ち上げる。
さあ。どっち？
彼女は少し首を傾げただけで、何も答えなかった。
私は唇のはじを少し持ち上げ、気障な笑みを作り上げ、右手を外した。
ぴかぴかに磨き上げられた５００円玉は５００の数字を上に向けていた。
裏。
「決定。次回のデートは、私は「女」ね。」
私がそう言うと、彼女は嬉しそうに笑った。
*
女子トイレに一緒に入るはめになったのは、偶然ではなく、計画していたことであった。
ひょんなことから、私のように女装をしている男に興味があるという女性たちと食事をすることになったのだ。
三人の女性と、三人の外見は女性の男性。計六人がテーブルに向かい合わせに座った。
自己紹介をしたときに彼女は小さな声で名前を告げ、大手の旅行代理店に勤務していることだけを言った。年齢は聞かなかったが、おそらく私より二歳は年上だ。
眼鏡の下の瞳は今にも泣き出しそうだった。私はつい声に出して、私たちが恐い？と尋ねてしまったが、大きく被りを振っただけでまた沈黙してしまった。
女性陣のリーダーらしき背の高い一人が乾杯の音頭をとり、食事はつつがなく進行した。
「今まで何人くらいの男と寝た？」
「いつから、そういう格好をするようになったの？」
「親にはばれてるの？」
「ナンパされたことある？」
もっぱら会話の主導権は女性が握った。
私と、友人二人はその質問に、真偽入り交じったリップサーヴィスで答えた。
その時、眼鏡の彼女がそっと席を立った。彼女がトイレの方向に歩くのを確認してから、私もおもむろに席を立った。友人二人は納得したようにうなずいたが、女性の一人が私に声を掛けた。
「……やっぱり、その格好で男子トイレに入ったらパニックよね？」
Yes,sure.
たまたま同室してしまった女性達には申し訳ないけれど、自分の安全確保のため、女子トイレを利用するのよ。
「あー…。知らないで欲しかったわ。女子トイレの状況なんて。」
それは、私をあくまで「男の一員」として見たときの正直な感想だったのだろう。
ごめんね。私も見たくて見たわけじゃないわ。
洗面台で眼鏡を外し、ハンカチで目元を押さえている彼女の横に私が立つと、彼女はびくっと肩を震わせた。
「ちょっと二人っきりになりたかったの。」
そういうと彼女は今にも泣きそうな顔をした。
「もう一度聞くよ。そんなに私たちが恐い？」
彼女はさっきよりも大きく頭を振った。小さな声で「違う」とも言ったようだ。
「じゃあ、どうして？なんだか楽しそうじゃないみたいだし、何かに怯えているみたいに見える。」
「……聞いても笑わない？」
彼女はしっかりとした、でも少し震えた声でそう言った。
私は長丁場を覚悟していたので、思わぬ進展に喜んだ。もちろんすぐにそれを顔に出すような真似はしていない。
「もちろん。笑う理由なんてどこにもないでしょ？」
「……濡れてるの。」
私はつばを飲み込み、唇を舌で舐めた。ガラにもない、何を緊張しているんだろう。
心の中でカウント５まで数えてから声を出した。
「三人の中で、私があなたを追いかけてきたのは失敗？」
ちょっと微笑んでそう尋ねる。
「大成功。」
彼女は複雑な笑みを浮かべながらそう言った。
「私は今こんな格好よ。ホテルには行けないわ。」
「……私の家はここからタクシーで３０分。」
ひゅうと口笛を吹きたい気持ちをこらえながらも、唇だけは、しっかり奪った。
席に戻っても、いきなり饒舌になるほど、彼女は愚かでは無かった。女子トイレの中でどんな約束が交わされたのかを公言するような子どもじゃないってことらしい。
女子トイレから席に戻る間に一から作った第二の計画も面白いほどうまくいった。
場所を変え、カラオケボックスで飲みながら歌っている最中、彼女は私にもたれかかって眠りに落ちた。
「なんだか、すごく気に入られたわねえ。私なんかがその子を知るまでは、随分時間かかったのに。」
リーダー格の女性は少し羨ましげに言った。何に対して羨ましがっているのかは、私の思うそれとは違っていたかも知れないが。
「じゃあ、私が送り狼になってもいい？」
わざと冗談にきこえるように私は言った。
彼女たちは笑いながら、「男になっておいで。」と言った。
私は太い声を作り「押忍！」と答えた。
第四章
Subject: お久しぶりです
Date:
Tue, 20 Oct 199X 23:07:57 +0900
From: ■■■■ <xxxx9999@mb.xxxxweb.ne.jp>
To: ▲▲▲▲ <zzzz9999@mb.xxxxweb.or.jp>
こんばんわ。
なんだか、こうしてメールを書くのは久しぶりですね。
私自身どうしてあなたに今メールを書こうとしているのか、よく分かっていません。
ただ、身体の奥底から突き上げられるような、激しいんだけど緩やかな情動によるものだと思います。書いていくうちに私の本当に言いたいこともまとまってくるかなと思います。支離滅裂になるかもしれませんが、ちょっとだけおつき合いください。
さて、何度もこの話を持ち出すのは卑怯かもしれませんけれど、敢えてもう一度だけさせて下さい。
あのとき、あなたは、なぜ私の身体を求めたのでしょう？
私はそれが知りたいと思います。
「写真に撮られた私」は正しくは私ではありません。言葉が足りないかな。うまく言えませんが、生きて動く私とは明らかに別の、「被写体」でしかありません。
そんな私の「作品」をご覧になり、私にコンタクトを取ってくださり、お逢いしたいということでしたので、私は応じたわけです。
無論その時、あなたの言葉には「君の身体が欲しい」というメッセージは含まれていませんでした。いや、含まないようにコーティングしていたというのが正しいのでしょうか。
しかし、恐らく最初から私の身体をむさぼることは計画されていたのだと思います。
誤解しないで下さい。これは別にあなたを非難しているわけではないのです。前にメールをしたときに、私は激しく謝罪を求め、あなたはそれに応じた。そして私もそれを受け入れ、もう怒っていませんと書きました。それに嘘はありません。
そういった計画があるであろうことを半ば知りながら、逢うことに応じたのは私です。
ですから、むしろ謝罪を求めるなどという態度をとった私こそが非難されても仕方がないでしょう。
そこを認めた上で、敢えて伺いたいのです。
本当にあなたの目に映った私は、あなたにとって魅力のあるものだったのでしょうか？
写真はいくら加工をしていないとは言え、一瞬を切り取ったに過ぎません。ですから、シャッターを押すということイコール私を写したということにはならないのです。
実物は生きて動きます。いくら女らしく振る舞おうとも２０年間私の内部で上位に立っていた「男」のフィルタが見え隠れしてしまいます。
それでも私はあなたに抱かれる価値のある女だったのでしょうか。
私はただ、自分の中に潜んでいる女に、外の世界を味わせてあげたいのです。
デートもそうですが、セックスも世界の一つに数え上げています。それは男の私が、女の私に与えるものとしての世界に過ぎませんが。
自分の中にいる女は私の一番大切な恋人です。彼女が望むモノはすべて与えてあげたい。
つまり、男の私はあなたとのセックスは望んでいません。しかし、女の私はセックスを知りたいと思っています。事実、あなたは私の中の女にセックスを教えてくれました。
長くなってしまいました。
端的に言います。
あなたが、私が送り出した彼女に対して、本気で魅力がある、と感じていたのならば、お願いがあるのです。
もう一度、抱いてあげてください。
男の私からのお願いです。ただし、恋愛は今のところ私の中の女に教えてあげるつもりはありません。残念ながら彼女の恋人は私ですから。
それでもよければ、という条件つきです。
お返事おまちしております。
かしこ
第五章
ホームを電車が通り過ぎるとき、電車は私のスカートとストッキングの隙間に風を送り込んできた。
それは私にとってはじめての体験であり、たまらなく欲しかったもののうちの一つだった。
淡いブルーのニットのセーターとベージュのジャンパースカート。かなり地味な姿ではあるが、人目にさらされることに慣れていない私には丁度良かった。
私は回りを静かに見渡しながら、女性の歩く姿を観察した。
階段を登るときにヒールはつけるのだろうか？
視線はどこを見ている？
バッグを持つ手はバッグのどこを押さえている？
もちろん、それ以上に気になるのは、人々の視線だった。
男であることがばれているだろうか？
歩き方、変だろうか？
私をじっと見つめている人はいないか？
すれ違ったあとに笑われていないか？
私の心臓は早鐘を打っていたが努めて冷静に振る舞った。
なのに、どこか晴れ晴れとした気分なのはなぜだろう？
もう、戻ることはできないな、とぼんやり考えた。
第六章
私の性器が女性のそれに包み込まれた回数はそう多くはない。
彼女とのセックスも、もっぱら、彼女が疑似男性器を用いて私の肛門を犯すことに費やされた。
ホテルでも彼女の家でも私の家でも。
彼女は私が女性の服を脱ぐことを許さなかった。
ベッドサイドに立ち、両手を私はベッドにつき、下半身をつきだす。スカートは高く捲りあげられ、腰の上にかぶせられる。
ストッキングとショーツは足下まで下ろされる。それが丁度拘束具の代わりになり、私は逃げることができない。彼女は全裸に疑似男性器を装着し、私の腰を支えに、下半身を激しく突き上げる。
彼女の表情は常に高らかな笑みを浮かべていた。今にも涎を流さんばかりにだらしなく、淫靡な顔だった。私はそれをベッドの向かい側にある鏡で見る。
ぼやけた私のみっともない表情と、高潔な彼女の笑み。
それを眺めながら前立腺を疑似性器で撫でられる感覚はこの世のものとは思えないくらい甘美であった。
*
「さあ、王女さま。そろそろタクシーで３０分のお城に行きましょ？」
私は私の腕にしがみついて離れない、寝ぼけたふりをした女に声を掛ける。
他の女性二人と、女性のふりをした男性二人の行方は聞いていないからわからない。同じような関係になっているのだろうか？それとも、素直に終電で帰宅するつもりなのだろうか？私の友人二人はひょっとすると繁華街に出て、一夜のパートナ探しをするかもしれない。
仲間達は街に消えていった。ようやく私は彼女と二人きりになった。
「ほら、王女。もう、寝たふりから覚めていいよ。」
「ばればれね。」
そう言って、彼女はすっきりとした顔を上げた。
「ねえ、ちょっと。私のこと王女って言うのやめてよ。あなたが王女でしょ？」
「そんなことないよ。」
「じゃあ、あなたはお姫様。それでＯＫ？」
彼女はＯＫ？と私の顔を指さした。
私はスカートの裾をちょっとつまんで、「御意」と言った。
タクシーの運転手は饒舌だった。私は失敗したと思った。
こんな夜遅くまで女二人がそんなにべろべろに酔っぱらうまで遊ぶなんて私の頃には信じられないよ。そうタクシードライバーは言った。形を変え、言い方を変え同じことを繰り返し。
私こそ信じられない。この大都会で、タクシーの運転手をやっていながら、そうじゃない女性を乗せることなんてあるもんか。
毎回説教するのを楽しみにタクシーを走らせている最悪のタイプだった。
私は話し半分で聞きながら、彼女の寄りかかる腕の体温の心地よさを感じながら、セーラムライトの煙を少し開けた窓の外に吐き出した。
彼女が主に行く先を案内するために、しゃべってくれたので、私はほとんどしゃべらずに済んだ。彼女も軽く受け流すことができるタイプだったから余計な議論にもならず、助かった。もちろん、もう彼女は無口なおとなしい女ではなかった。
饒舌で、何かを吹っ切ったような明るさがあった。遠足の前日の子どものようだと私は思った。事実私も同じように感じていたかもしれない。
タクシーから降りるとき、私はわざと低い声で言った。
「じゃあな。元気でなおやじも。」
アパートの階段を登る最中もずっとそのタクシーは動かなかった。何について彼は思案していたのか、聞いてみたい気もする。
彼女の部屋は散らかっていた。決して狭い部屋では無かったが、自分のアパートとほとんど変わらないぐらい色々なモノに溢れていた。
「驚いた？」
「私の部屋と似ているから驚いた。」
「私は、そのつもりで驚いたか聞いたのよ。」
「すっごい驚きました。」
「よろしい。」
彼女は笑いながら、コーヒーを入れてくれた。
「あんまり似ているとお互いに自分の嫌な部分が見えてしまって、私たち長続きしないかもしれないね。」
そう私は意地悪く言った。
「でも、お互い、ナルシストでしょ？」
「もう、嫌なとこ見えちゃった。その一言で核心突いちゃうとこ。」
「私は私を抱きたいとずっと思っていたの。あなたはあなたに抱かれたいと思っていたでしょ？」
私は正直舌を巻いた。この女ただ者ではない。
少し考えて私は言った。
「しっぽを飲み込もうとする蛇ね。」
*
もちろん、朝までセックスをした。
計３回私は射精をしたが、彼女の性器に挿入してのそれは一度だけだった。
第七章
そして、私はもう一度あの男に抱かれた。
第八章
まず夢がおかしなモノになってきた。
繰り返し繰り返し、同じ模様が現れては消える。
鋭角なトゲを持った花のような物体が視界一杯に無数に広がっていた。
それらは極彩色で彩られ、それぞれが固有の動きで回っていた。
まるで、歯車のように。
その情景を見ている私は、冷静だった。
私はどんな風に身体の形を変えて、どんな色を纏って、どんな動きであの風景の中に入っていけばよいのだろうかと考えていたが、やがてそれを諦めた。
あそこに私の身体が入る余地はないと結論づけるのに時間はかからなかった。
目を覚ますと、あまりのわかりやすいメタファであることに、苦笑を禁じ得なかった。
身体を起こすと、眩暈がした。激しく世界が動き、私は再びベッドの上に倒れ込んだ。
吐き気がした。
トイレに駆け込み、便座をあげ、私は便器にかしづくような姿勢をとった。
固形物が吐き出される。
消化されていない証拠だろうか。
私は、何度も何度もこみ上げる吐き気を素直に認め、それに逆らうことをしなかった。
その日から私はその一連の流れを毎日繰り返すようになった。
日課になってしまうと、その行為の異常性をまったく認識しなくなった。
ある日ふとわずかに、私は今一体何をしているんだ？という疑問が湧いたが、それを育てる元気が私から欠落していた。
ただ、事実のみを述べただけだ。私はどこか狂っているだろうか？
第九章
彼女は愛おしそうに私の性器を口に含む。
どうしてそんなにそれが好きなの？
と私が尋ねると、欲しくてたまらなかったものだからよ。と彼女は答えた。
男になりたかった…というわけじゃないでしょ？
そうよ。あなたが女になりたいわけじゃないのと同じ。
凸型の肉片が欲しかったということだね。
そうよ。そして、その突起を全て受け入れる他人の身体も。
女が好きということもないね。
そうよ。私が恋愛を捧げられるのはあくまで男よ。
私と立場が逆なんだね。けど、完全に逆というわけでもないね。
そうよ。でも女の子とも寝たわ。
それはそれでとても気持ちがよいものだよね。
そうよ。私はあのとき、なんども射精したわ。
なるほど。
そうよ。
私の問いかけに彼女はＮＯと言わなかった。言えなかったのではない。言う必要がなかったのだ。
セックスを与えてくれる男はいるの？
そうね。いるよ。
女の子で街を歩くのは楽しいでしょ。
そうね。もちろん楽しい。生まれたばかりの肉体を曝しているみたいで。
私は化粧を落としても男になれない。でも、別にそれは悔しくはないわ。男の外見に魅力を感じないから。
そうね。私も男の身体や、体臭に何も感じない。むしろ自分にもあるから嫌悪の対象だわ。
私にお尻を犯されるのは気分がいい？
そうね。身体全体がしびれるくらい。
少しずつ大きなディルドにしていく計画よ。
そうね。これは普通の男が相手じゃ味わえない、育つ快楽だわ。
そうよ。
そうね。
彼女の問いかけに私もＮＯと言う必要はなかった。
自分の存在を肯定してもらうというのはどれほど心強いだろう。
しかし、このあまりにも完璧な二人の一致が、わずかなほころびから完全に瓦解する危うさを持っていることにも、お互いが気づいていた。
二人の間には淑女協定のようなものが自然に出来ていった。
相手は自分なのだから、甘やかすな。
そして私たちは精神的なシャム双生児になっていった。
第十章
ねえ？
あなたは、私に女性器がなくても平気なの？
確かに凹型の部分はあるわ。口もお尻も。
あなたのその太い男性器を受け入れる部分は確かにある。
けれど、それで本当にいいの？
私のその部分からは決して男を誘惑するような液体や匂いを出さないし、胸だってないわ。
私のどこが、あなたを扇情させているの？
顔？それだけ？
この顔だって、本当の私じゃないわ。
化学薬品の合成物で出来た化粧品で作り上げた私の作品よ。
その私の作品に欲情してくれているの？
アーティストとしてならば、それは誇りだわ。嬉しい。
けれどあなたにはそういう意識は無いのよね？いや、無いのだと思うわ。
私のこの作品は前にメールでも書いたけれど、私の中の私の恋人を外に送り出してあげるためのものよ。
いわば、超個人的作品。
あなたは男性が好きなの？
…そう、違うのね。ごめんなさい、そういうつもりじゃなくて。うん、分かった。
世の中には男性しか愛せない男性もたくさんいる。それはそれで全く問題ないわ。
たまたま私もあなたもそうじゃない、けれど私たちは男性器を持った者同志セックスをした。それだけのことよね。
また、やるの？
すごく元気なのね。羨ましい。
ううん、大丈夫。可愛がってあげて。
そう、うん。
もっと、思いっ切りお尻の穴を広げて、もっと、思いっ切り突き上げて。
もっと、強く唇を吸って。もっと、激しく首筋を舐めて。
もっと、汚らしい音を出して。
もっと、身体中を唾液でべたべたにして。
大丈夫よ。恋愛でもないわ。ビジネスでもない。
身体同志の物々交換よ。
原始的よね。
何度か身体を重ねて見て分かったわ。
私は射精しなくても大丈夫。私の性器のことは気にしないで。
わからないかもしれないけれど。
私は何度もイッてるわ。
第十一章
私には一人の彼女と、一人のセックスを与えてくれる男と、たくさんの友人がいる。
一体これ以上何を望むのか。
なぜ私の身体は何かに蝕まれ、食物を拒否し続けるのだろうか。
私の中の何かが、今のこの状況を拒んでいる。
原因が解らない限り、私の身体は壊れていく一方だろう。
吐き出し続けた最後に何か、ぽろりと音を立てて、こぼれ落ちてくれればよいのだが。
目に見える形で自分を診断する材料が。
一生このままかもしれない。それはそれでいいじゃないか。とも考える。
何かに対して唾をはき続け、嘔吐を繰り返す。
壊れたならば壊れたで、仕方がない。
原因不明の故障は修理が出来ない。
ひょっとしたら、もうすでに過去のどこかで大きく道を間違えているだけなのだろう。
戻れないのはアタリマエだ。もういい。
このままどこかまで、ぶらりと歩き続けるさ。
第十二章
そんなに厚く塗り込めたら息が出来ないよ。
皮膚だって呼吸をするんじゃないの？
そういう私の問いかけに「あら、皮膚は呼吸をしないわ。ちょっと発汗を押さえる可能性があるだけ。」
そう言いながら楽しそうに私の身体を白く染めていた。
彼女の家に呼ばれ、玄関を入って驚いた。
散らかっていたものがすべて片づけられ、部屋の奥に、祭壇のような白いシーツにくるまれた椅子が一つ置かれていた。
そして、押入からはみ出さんばかりにしまい込まれたきらびやかなドレス。
更に驚いたのはもう一人見慣れぬ女性がいたことだ。
彼女はメイクアップアーティスト。彼女にかかれば、美女も野獣も思いのままにできあがるわ。
と彼女は華奢なショートカットの女性を紹介した。
シャワー室に閉じこめられ、顔以外の全身の毛を再度綺麗に剃り上げることを強要された。むだ毛の処理はさほど怠っていないが、全てよ、と言い渡され、彼女も手伝い、産毛のような背中に生えた毛さえもそり落とされた。
更に二人がかりで全身を磨き上げられた。もはやこうなっては何も口出しすることはできない。
今まで足や手に生えた毛は綺麗に処理していたが、性器周辺のそれは一切手を加えていなかった。私の考えは「それは、女性にもあるから」というものだったのだが。
それさえも無くなった。私の不格好な性器をくるんでいた黒い茂みは消え失せ、幼児のような股間が完成した。
そして、私はメイク氏に全身を白で塗られているのだ。
まずは肌のキメを整えてね。それから白で塗り込めるわ。
化粧を落とした顔はあまり見られたくなかったが、メイク氏は、私にすっぴんを見せない人は誰もいないのよと言った。
髪の毛も後ろになでつけられ、頭全体をゴムのような薄いかつらで覆われた。
こういう舞踏集団いたね。
そう私がつぶやくと、少しだけ彼女たちは笑った。
メイク氏が作ってきたという胸は、私の胸部にぴったりとフィットした。重みも充分にある。そして、私の身体とその胸との境目を消すために再度白で塗り固められる。
二時間近くかかり、私は完全な石膏彫刻になった。
さて、ベースができあがったわ。ここからが、私の本領発揮よ。
メイク氏はそう言って既にまくって有る袖を再度持ち上げた。
私は何度かまどろんだ。眠かったということはない。ただ、ただ気持ちがよかったのだ。
自分がなんでもないただの物体になっていくというその状況を想像しただけで、身体は熱くなり、不思議と心が落ち着いた。
それくらい時間が経ったのだろうか。
さあ、出来たわよという彼女の耳打ちで目を覚ました。
私の身体は金と赤と黒を基調としたドレスで覆われていた。かつらも丁寧に巻き付けられた古風なものをかぶせられていた。
椅子に座っているのだが、身体が動かない。完全に椅子に固定されてしまっているらしい。
一度完全に真っ白に塗りつぶされた顔の上には、見たこともない女性の顔が描かれていた。いや、描かれていたのではない。仮面のようなぴったりしたものが被せられているのだ。目の回りと口だけは外に出てはいるが、それ以外は私の顔ではない。手が自由にならないので、触ることはできないが、どうやら材質は結構固そうだ。
口は開くことも出来るし、それに応じて周りの皮膚も少し動くようにはなっている。
目の中には黄色がかったコンタクトレンズが埋め込まれていた。
正面に置かれた全身を写す鏡には、等身大のビスクドールがいた。
あなたは多分、これになりたかったんだわ。
どうして？
わかるの。私がそうだったから。
君も？
結局、男とか、女とかそういうのを超えていくと、モノに行き着く気がするの。
確かに。
でも、ただのモノじゃだめなの。人の名残を残していないと。
そうかもしれない。
だから人形なの。女の子には愛でられ、自分の分身となり。男の子には壊され、破壊の対象となる。
なるほど。
ねえ、気持ちがいい？
うん、とても気持ちがいい。
スカートの中にもぐってもいい？
もちろんかまわないよ。
ふと気づくと、メイク氏はいなくなっていた。私はあの女性が彼女とセックスをしたのだろうか、と少し思った。
彼女は何枚も重ねられたスカートを器用に捲りあげ、中に入り込んだ。
私の足は椅子の両脚に固定されているらしく、股間は大きく開かれていた。
そこが彼女が居場所として作った空間らしい。
スカートの中からくぐもった声が聞こえる。
私も気持ちがいいわ。
そう言いながら、私の足を撫でる。
私は自分の足が陶器になっている姿を想像した。それをなで上げる彼女。
このままずっとそうしていてくれる？
それだとセックスが出来ないよ。
もちろん、それはするのよ。
私のセックスフレンドの男もここに呼ぶのかい？
あなたが望むのならばそれもいいわ。
鏡越しに夜の街が見えた。
珍しく低い位置に月が見える。
地平線に近い月はどうしてあんなに大きく見えるのだろう。
しかも赤みを帯びて、私たちの姿を眺めている。
私の中の彼女は今、どうしているのだろう。
今のこの私の姿を見て、どう思っているのだろう。
ひょっとすると、ようやく、恋人である私と一つになれたと思って、ゆったりとした眠りについているのかも知れない。
人形になった私は目を閉じた。
そして、股間の男性器をくわえる彼女の口の中の温度をゆったりと感じた。