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清らかな世界へ
1
私たちの清らかな世界は、この紫色に煙った空の向こうにあると思う。
いつかこの町を捨てて、その清らかな世界に行こうと思う。
そのために、私たちは色々なものを身につけ、早く大人にならないといけない。
私たちは毎日、その時を待ってる。髪を結ったり、ハーモニカを演奏したり、裸体にいろんな絵をかいたりしつつ。
その時は、きっといきなりやってくる。もしかしたら、知らないうちに。
知らないうちに。
2
山裾の煙突は、絶え間なく、もくもくと煙をはく。その煙は空に堆積し、太陽は少しの光のみを街に降らせる。
うすくらい街並みは、私の生まれたときから少しも変わっていない。大人たちはこほこほと咳をしつつ、背中を丸めて歩く。
私たちは今日も列車の来ない線路を歩いて、煙突の反対にある丘に向かう。
スカートのポケットには、ハーモニカを入れて。
私の後ろにぴったりとついて歩く真希くんは、つややかな髪を背中に垂らして、肩からはお絵かきセット一式。
つまらない教室を抜けて、ようやく今日もこの時を迎える。他のみんなはよく、いつも二人きりと、私たちをからかった。
平気。しかたないもの。二人は一緒にいなくちゃいけないから。それは、きっと神様の決めたこと。
からかったみんなも、もう最近は飽きてきたのか、私たちに興味をしめさない。
早く家に帰って、映りの悪いスクリーンを見つめる。それもまた一つの方法かもしれない。スクリーンは外の世界を映すから。
心のなかに、思いをためて、ふくらませて。私たちみたいに、いつかその世界に向かうことを夢見る。
異なるのは、私たちは、単にそれを二人の身体を使ってやってるってこと。
真希くんは転校生。二年前に父親に連れられてこの街にやってきた。
真希くんの前にいた街も、こんな空の色をしていたと言う。真希くんの父親は、そんな街をまわる職に就いている。なんという職かは忘れた。
母親は真希くんと父親を捨てて、遠くに行ってしまった。きっと遠くの街に、今も生きていると真希くんは言う。そしていつか見つけて、たくさんのかいた絵を見せると言ってた。
私は少し真希くんのお母さんを羨ましく思った。そんなに簡単に色々なものを捨てられるとは、なんて強い人なのと思った。
そう真希くんに言うと、そうなのかなと真希くんはさみしそうに笑った。
そんな訳もあってか、真希くんの見かけは、女の子のように見える。いや、もしかしたら本当の女の子より女の子っぽいかもしれない。
髪も肩にかかっているし、瞳もくるくるとよくまわる。時折私のスカートをはいてみたりもする。とてもよく似合うから、羨ましく思うこともあるくらい。
そんな一面も、他のみんなからは、恰好のからかいのネタになった。まあ、これも最近はもう、無くなってきた。
私たちの丘は、夕陽を照らし、紫色に染まっていた。少ししか見えない太陽も山裾に隠れる時は、いつもより強く街を紫にする。
私たちはぺたんと座り込み、いつものお祈りをした。
早く、清い世界に行けますように。
この街を覆う煙を越えて。
黒く、暗く、私たちにのしかかる前に。
そして私は真希くんの髪を梳く。琥珀色をした古い櫛を使い、丹念に梳く。すると、真希くんの髪はつややかな光を放つ。それをおもむろに三つにわけ、私はゆっくりと編む。
結われていく真希くんの髪は、なにか一つの生き物のように、真希くんから切り離されて行く。
髪を結い終えると、私は深呼吸をして、裸体になる。服装を解き放ち、生まれたままの身体を晒し、丘の上に横たわる。
真希くんは、お絵かきセットの蓋をあけ、今日は何色からにすると私に聞く。
朝から私の頭のなかには、一つの色しか無かった。
今日は、黄色にして。
小さな声を発すると、真希くんは、軽く私にキスをして、パレットに黄色のポスターカラーをあける。
面相の柔らかな感触は、私の身体を黄色に染めて行く。
真希くんは、最初に胸に大きな向日葵を咲かせた。手足にはたくさんの蒲公英も咲きそろう。
そして、幾重にも幾重にも色を塗り重ね、いつしか私の身体は黄色に埋め尽くされてしまった。もちろん、他の色も混色され、私は一枚の紙になり、真希くんの絵をのせる。
真希くんの持つ面相は、私を眠りの世界に誘う魔法の杖となる。下半身にたまる熱い何かも、眠気とともにやってくる。
そうすると、私は真希くんを欲しくて欲しくて仕方なくなる。両手を真希くんの肩に巻き付ける。真希くんの白いシャツに、私の向日葵はうつってゆく。
真希くんはいつも照れたように笑って、私の気持ちに答えてくれる。
こんな毎日を私たちは暮らしている。
身体をポスターカラーに染められたまま私は帰宅する。両親は、そんな私から目をそらす。もっと見てもいいのに。ゆっくりと舐めるように。
ほら。
今日はこんなに大きな向日葵よ。もう一回あらためて、裸体となり、三面鏡の前に立つ。
また、眠りは押し寄せる。耳の奥底に潜む真希くんのゆるやかなハーモニカの音色は、安らかな時を膨らませてくれる。
このまま眠ったら、向日葵の夢を見るかな。それとも、蒲公英の夢を見るかな。
時には、私も面相を持ち、真希くんに絵を描く。真希くんと比較しては、あまりにつたない。しかし、その時の真希くんは、至福の顔をしてる。きっと私もそんな顔をしているのかも。
絵を得意としていない私のパターンは、「うめつくす」。
このまえは、ひたすらに青色を使い、真希くんの身体を塗り尽くした。たくさん買っておいたポスターカラーはみんな空になった。
一点の曇りもなく。耳の穴から、足の裏に至っても。徹底して皮膚の呼吸をさせないくらいに。
真希くんの息は少し苦しいように聞こえたから、平気？ と聞いた。すると、あたりまえさ、あまりの気持ちよさに興奮してるのと答えた。
確かにその時の真希くんの性器は、いまにも破裂しそうに見えた。
精液は結局、私の口の中に発せられた。私の口唇も青く染まった。
ハーモニカは、二人のお金をまとめて、一つ買ったもの。交代交代に演奏をするから二つは必要ない。片方は紙となり、片方は演奏家となる。
こんな関係はいつの間にか当たり前になっていた。最初は、この二人のしていることの意味を考察した。一所懸命悩み、しかし答えは無かった。
もちろん、目的は祈りということにある。
祭礼のようなものとは思う。二人にとっての神聖なるもの。
今は何も悩まない。二人の気持ちの確認と思っているから。
さあ、行こうよ。今日もあの丘へ。今日は二人とも紫に染まろうか。曇り無い二つの紫の生き物は、きっとこの街から見えなくなる。
そしたら、ゆっくりと眠ろう。いつか、清らかな世界に行くために。
しっかりと手と手を取り合い、二人は一つの世界を歩き回るの。
ほら。太陽も煙の隙間から見ているよ。少ししたら、月も見に来るから。
そうすると、二人の世界は、きっと清らかな世界になる。
今も、もう。